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さしより備忘録

大人になる前に ここにいる証 僕と刻んでいこう

下宿生ジャニオタの受験のお話


こちらのブログを読んで大学受験の時のこと思い出しました。懐かしい。当時は下宿生&推薦組だったから全く参考にはならないと思うけどその時のお話を少し。


1年生の時に父が転勤。単身赴任かと思いきや私だけ置いてかれました。携帯電話買ってあげるからと乗せられ連れていかれたのが下宿先でした。いかにも学生下宿といった古いアパート。狭いし、風呂トイレ共同だし、山の麓だし、嘘でしょ!?というところ。女子専用だったのが救いでした。引越し当日が大会というまさかの日程でまともにサヨナラもせずにいきなり下宿生活に突入しました。



当時の私は嵐&ジャニーズJrの井上瑞稀くんを応援してました。まず、地方ジャニオタだったのでコンサート参戦歴は0。番協なにそれ?サマリーどこでやってるの?帝劇って何?そんな感じ。地元にジャニーズが来ない。中山優馬が一度イ〇ンに来たくらい。でも辺鄙なところにある店舗だったので見に行けませんでした。ゆまもん拝みたかった。毎週嵐の番組を見ることとコンサートDVDを見ること、曲を聴くことがオタ事でした。常に金欠だったのでCDは買ってません。雑誌は基本立ち読み。どうしても欲しいものだけ買う経済を全く回さないオタクでした。


高校は刑務所レベルの詰め込み大好き自称進学校。文武両道、国公立神推し。東西南北どこから来ても坂地獄の山の中の校舎。2年生までは7時半からの朝課外と土曜日課外に夏課外に冬課外に模試。3年になればそれに加えて夜課外が始まり朝の7時半から夜の19時半まで学校。総文・総体時期は20時半まで学校がありました。だから1日12~13時間学校にいました。やばい。塾に行ったら落ちると先生たちに脅されてました。普通に塾行く時間ないけど??おまけに地味に校則が厳しい。携帯電話はもちろん禁止&校内使用で没収。3回目で保護者召喚。バイトも禁止(やる時間ないけど)。バイク通学禁止で自転車通学が9割。自転車通学が多いのにアームカバーが禁止。制服はださい。持ち物も華美なものは禁止。指定が多すぎて何がいいのか分かりません。毎日山の坂道を朝日と競走しながら通う都会のキラキラしたJKから程遠い田舎のJKでした。


下宿先は高校生が4人であとは大学生。ちなみに4人中3人がジャニオタでした。これは心強かったです(笑)平日の昼夜は食事がでました。朝は6:15から、夜は7時から。食事ができると「ご飯できたよおぉぉぉ~」と響き渡る声でおばちゃんが呼んでくれました。男子学生か?という程の量とカロリーの高いメニュー。下宿期間に7キロくらい太りました。風呂トイレは共同なのでお互いを察しながら使っていました。特にお風呂は早い者勝ちなのでちょっとした戦争。そして壁がとにかく薄いので隣部屋の音がよく聞こえました。隣部屋は同じ学校で同じ学年の二宮担。めざまし曲は二宮ソロの「それはやっぱり君でした」。お互い朝が早いので起きる時間はほぼ同じなのですが、めざまし曲がよく聴こえてました。私のめざまし曲は嵐の「モノクロ」だったのですが、それも聞こえてたそうです。どれだけ壁が薄いんだ!!テレビの音内容が分かるレベルで聞こえてたので相当壁が薄かったと思う。もう1人のジャニオタは関西Jr(WEST)担。夜の食事のときは高校生が一緒になることが多かったのでいつもいろんな話で盛り上がっていました。



まず下宿生。学校と生活の両立が大変です。朝夜は食事が出るけど昼は作るか買うかだし、洗濯に掃除にゴミ出しに家事は全部自分でしなきゃいけないし、強い心がないとすぐ折れちゃう。ばきばき。7時半に学校に着くようにするのがまず辛いです。朝が早すぎるし、芸能ニュースの途中までしか見られない。7時前には出ないと遅刻っておかしくない?まだ朝日もでてないよ?いつでも頭の中はギリギリでいーつも生きていたいからぁ〜でした。本当にギリギリ。雨が降ればもっと早く行かなければならなかったので辛かったです。後は保護者がすぐ近くにいないので書類のやり取りがめんどくさい。保護者の印鑑?無理無理。プリントを写メって保護者の確認をもらうめんどくささ。何かあると学校からすぐ連絡が行くのもめんどくさい。特に受験期は書類関係が大変でした。



学校生活の方では部活動ガチ勢だったので、下宿生になってからより打ち込むようになりました。部活をするために学校に行く文武両道ができないタイプ。演劇部で台本を書いていました。主に授業中に。真面目に授業を受けていません。とにかく今できることをやれるだけやりたかったので、成績が落ちなければいいやと軽い気持ちでいました。これが後に響くとは知らずに好き放題でした。


2年生1~2学期

とにかく部活に励んでいました。自称進学校なので勉強は一応がんばる。提出物は絶対に期限内に出すを守っていました。家での勉強は提出したり、宿題として出たものをやることがメインでそれ以上はしていません。成績が下がらないようにすることが目標。志望校はなんとなく行けそうなところを上げつつ、模試はそんなに本気じゃありませんでした。模試中に台本を書いて先生に呆れられてました。


ジャニごとの方では隣部屋の二宮担が当選して初めて嵐のコンサートに行きました。片道3時間くらい。終業式の日と被りサボる気満々だったら先生にバレ、泣く泣く学校に行ってから会場に向かいました。初めて高速バスに乗るし、初めてドームに行くし、ワクワクが止まらない。しかし隣の県はやっぱり遠くて開演30分前に着きました。ギリギリ。生の嵐を拝んで本当に生きてるんだって感動しました。銀テープも1本ゲットできて幸せで泣く泣く。次の日から冬課外が始まるので感動に浸る時間も短くさっさと帰りました。そこで地方ジャニオタは決意しました。もっとコンサートに行きやすい土地に住みたい!コンサートはずっと遠い夢でした。DVD見ていいなあって思いながら、行けないからいいやと諦めてました。DVDで見れればいいし、CDで曲が聴ければいい。ありがたいことに友人の母親が超が付く嵐担だったので新曲が出る度に友人経由でCDをいつも貸してくれました。それで満足だと思うようにしていたし、実際楽しかったし。でも1度コンサートに行ってしまったらどうしてもまた行きたくなりました。やっぱり行きたい。答えは出ました。ドームがあるところを受験すればいいんだ!すごく不純で明確ではない目標。でも、地方ジャニオタにとっては絶対叶えてやりたい目標になりました。

2年生3学期

お正月も終わり始まった3年生の0学期と呼ばれる2年生の3学期。みんな一斉に受験モードに入りました。まずは志望校決めから。私は取りたい資格が2つあったので同時に取れる国公立で探しました。全然ない。びっくりするほどなかった。そして地方ジャニオタ気が付きます。国公立大学って田舎にしかないじゃん!!片っ端から調べました。マイナビ進学?違います。Google マップです。どこもかしこも田舎田舎田舎。ドームがあるところに絞ってみるとまだ都会だけど偏差値が高い。焦りました。でもドームがあるところがいい。取り敢えず東京の国公立を第一志望にしました。ところがどっこい。敵は近くにいました。親です。東京?家賃はどうするの?物価が高いじゃない?そんなところに行ったらお金は出さない!既にお金が無い中での生活の苦しみは十分に味わっていたので、それは嫌だと思い、次のレベルの大学にしました。ドームあるし、東京にも行けるし、ここに決めた!行く気満々になって学校に提出しました。自称進学校大好き国公立だから先生達もOKするだろう。またまたどっこい。先生が渋い顔をしてました。偏差値がねぇ…と。今から本気で頑張れば目指せるけど、隣の県の国公立でもいいんじゃない?と提案されました。隣の県?いや、興味ないです。あくまでも都会でドームのあるところがいいです。まだ2年生だからねとさしよりはそこが第一志望で通りました。ちょうどその頃に発売された雑誌Hに櫻井翔くんの17歳の自分へ書いた手紙が載りました。17歳だった私はとっっても身近に感じて即購入。手紙のページを印刷して机に貼りました。どの言葉も胸に響いたのですが特に影響を受けたのは

死ぬほどに無理して下さい。
別に死にゃしないから。

翔くんが死ぬほどに無理しても死なないって言うなら本当なんだろう。この1年本気でやろうと決意しました。

3年生1学期

いよいよ3年生。より受験モードに…ではなく、最後の発表に向けて全力でした。もちろん受験勉強は始めていました。単語が弱かったので古文単語帳と英単語帳を持ち歩く。昼休みは図書室か自習室で勉強して、放課後は部活を全力でする。部活後は夜自習をしてから帰るという感じです。だいたい毎日21時過ぎに帰ってました。5月まで部活に励み最後の2ヶ月は最高に楽しかったです。2度と体験できないようなことをたくさんできたので後悔はありません。6月に入ると7時半から19時半の12時間学校。勉強あるのみの環境になりました。またこの頃から隣部屋の二宮担と家に帰ってからも勉強しようと約束し毎晩どちらかの部屋で23時半まで勉強してました。嵐の音楽をガンガンかけながら追い込みました。

6月の中頃に推薦を受ける人は申し出るように話があり、志望校の推薦を調べてみました。実はまだ東京を諦めきれず、推薦だったら行けるんじゃないかと淡い期待を抱いていたのです。しかし現実は甘くなく、入試内容は難しい上にそもそも成績が足りませんでした。次に第一志望としてる大学を調べました。入試内容は面接、小論文、歌。成績は~以上の以にひっかかってました。コレ行ける。となぜか確信し、担任に推薦を受けたいと報告しました。二者面談で普通推薦を受けるならあと少し成績がないと厳しいと言われました。ここから推薦を受けるのも難しいらしい。しかも校内選考会で選ばれないと推薦を受けることができないと知りました。それでも行けると根拠の無い自信があったので推薦を受けると言い続け、校内選考会にはかけてもらえることになりました。そこから校内選考会に向けての自己アピール書を書くことになりました。A4用紙1枚に自分のいいところをとにかく詰め込みなさいと言われていろんなことを書きました。ここで強かったのは部活動をがんばっていたことです。授業中も模試中も台本を書く生徒として知られてしまっていた分、アピールがしやすく、ネタも豊富にありました。この自己アピール書を書くのに1ヶ月かかりました。というよりも1ヶ月かけさせられました。

7月に三者面談があり、本当に推薦を受けるのか、落ちた時はどうするのか、なぜこの大学なのか聞かれました。推薦を受ける。落ちても同じ大学を受ける。国公立で資格が取れて授業内容に魅力を感じるから行く。自分に言い聞かせるように理由を話ましたが、場所が場所なのでなぜここかと何度も聞かれ、母親がコンサートが目当てだろうと担任に話しました。はい目的がバレた。担任も薄々気がついていたらしく、まあこの子だから仕方がないと言われました。そしてなぜかその場で推薦に受かったらコンサートに行くという話になり、それを御褒美にがんばれと母親からも担任からも言われ、ジャニーズがモチベーションなのが認められてしまいました。


8月は毎日夏課外。夏休みは5日あったかな?大宰府にお参りに行ったくらいの記憶しかありません。まだ本当に推薦を受けられるか分からなかったのでセンターの勉強&推薦の勉強をしていました。推薦では歌も必要だったので、昼休みは部室で歌の練習をしてました。正直課外が大変で小論文の勉強をあまりしていません。まだ推薦を受けられるか分からないのに時間のかかる小論文をやるのは精神的にもきつかったです。腕も疲れるし、自分に知識がないことを嫌という程実感しました。悔しかったです。分野に関係することを調べたり、噛み砕いて説明できるようにしたり分からなすぎて何度も書直しました。本来推薦を受けるなら4月から始めなければならない小論文を8月からというスロースターター。私はそこまで真剣に考えていなかったのですが、先生達の方が焦っていたようです。

3年生2学期

いよいよ推薦が受けられるか決まります。しかしそれよりも重要なことがありました。嵐の15周年です。アニバーサリーイヤーということでハワイに行っちゃったり、テレビジャックレベルで放送されたりしました。さすがにハワイは行けないけれどライブビューイングなら地元でもやってくれる!応募しようとしたら模試と丸かぶりでした。泣いた。推薦に受かったらツアーは行ってやるんだと心に決めました。
9月頭に推薦を受けることが決定し、小論文に加えて面接の練習も始まりました。小論文カードと面接カードが渡され、内容を詳しく書くよう指示されました。やった分だけ埋まっていくのでスタンプカードをもらったみたいでこれ全部埋める!を目標にしました。小論文は毎回国語教師の担任に添削してもらい、面接は最初は担任、それから学年の先生を回りました。11月の推薦まで約2ヶ月。翔くんの言葉を胸に死ぬほどに無理をする勢いで臨みました。
小論文と面接で大切なことは数をこなすことと振り返りを行い改善点を見つけること。何度もやって反省して次はもっと良くするの流れを繰り返すことが大切であるように感じました。面接用に小さいノートを買い、質問されたことをまとめて自分がどう答えたか、この答えで一番伝えたいことは何かを書きました。先生から指摘されたことを一覧にし、見返すことで弱点を見つけ改善していきました。小論文では資料集めと考察。そしてとにかくスピードを重視しました。出そうな分野の情報に対して考察点や自分の考えをあらかじめ作っておくことや、自分の軸をはっきりと持っておくことでより早く論文っぽく文がかけました。歌は昼休みに歌う程度でしたが、夏からずっと続けていたので1冊全部歌いきり、2巡するくらいは歌いました。
本格的に推薦の勉強を進めたのでセンターの勉強はかなり疎かになり、見事に模試の結果は下がりました。同時進行でいかなければ推薦に落ちた時に後がないのでどっちもやってやるしかありませんでした。

この頃にきつかったのは家事です。やる暇がどこにもない。下宿生であることが恨めしかったです。そして1人なのでとにかく自分と戦うしかありませんでした。夏頃からみんなのお弁当が手の込んだものになっていくので余計一緒に食べる気がしなくて早弁からの昼休みに歌いに行く毎日でした。親がいるって楽でいいなぁ~~と思いました。ある日面接の練習でめちゃくちゃ怖い先生に叱咤激励し大泣きしました。もっと怖い人と練習した方がいいかもと考え思いついたのは親でした。面接の内容や予想される質問を送り、電話で面接の練習をしてもらいました。家事をしながらイヤホンマイクで面接の練習と一石二鳥。しかもそれで?だから?と回答を掘り下げ納得しないと次にいかないスパルタ面接。どの先生よりも厳しく、かなり鍛えられました。毎日電話で面接の練習をしたので後半は先生が驚くくらいに面接の受け答えができるようになりました。


推薦の勉強時期と被った嵐の15周年。模試のない土日か、模試の終わった日曜日に録画を消化しました。何度も見ました。朝にちょっと早く起きて好きなところを少し見て1日の元気を製造。もっとこの人たちに会いたい。コンサートで見たい気持ちが高まりました。

推薦の書類は推薦が決まった時から書き始めました。提出用を何枚もコピーし、何度も何度も何度も書き直し、最終的には文字の大きさまで訂正されて完成しました。書類審査がある大学だったのでかなり気合を入れました。何回も書くことで決意も固まって、これだけ書いたんだからもう合格させてよね!という勢い。取り敢えず書類で通ってくれ~と念を送りながら願書出願しました。


いよいよやってきた11月。毎週模試を受けながら推薦の勉強。発売されたばかりのTHE DIGITALIANも気になって仕方ないし、11月3日は嵐の15歳のお誕生日だし、ツアーも始まったしやってられない。我慢出来なかったのでアルバムは聴いて、グッズは知り合いにお願いして買ってもらいました。受験直前に何やってるんだという感じですが、これがないとがんばれなかったから仕方ない。デジタリアンのタオルがライナスの毛布みたいな存在でした。書類審査に通らなかったらそもそも受験できないことがとにかく怖かったです。受験可能最低ラインの最低だったので先生たちは書類で落ちると思っていたらしい。1週間前に受験票が届いたので書類審査は無事通過したことを知りました。本番までは毎日とにかく小論文を書きまくり、色んな先生と面接をして過ごしました。小論文カードと面接カードが記録でいっぱいになったのは自信のひとつになりました。


入試前日に前乗りして会場に向かい下見をしました。ホテルでは今まで書いた小論文を見直したり、資料を読んだり、面接ノートを見返したりと今までやってきたことを振り返りました。早く寝ようと思ったのですが眠れず、嵐の曲をかけながら寝ました。サクラ咲ケとりあえずテンション上がります。歌詞も沁みます。士気を高めるにはもってこいでした。


入試当日は早めに学校に着いて本番に向けて準備をしました。入試スケジュールは午前に小論文、午後に歌と面接でした。まずは小論文。回答用紙が机からはみ出すくらいに大きかったです。A3用紙が3枚こんなの聞いてないから!!紙が大きすぎて机から落ちるし、一緒に筆記用具も飛んでいくし、あっちこっちでパタパタ物が落ちる音がしました。会場の緊張感が高まりました。こんなに落ちる?文字数指定なし2枚に字数指定1枚。90分で3枚。たっぷりでした。
午後は歌からの面接。面接は超圧迫面接でした。先生たちとの練習が優しかったくらいです。落ちたなあって思いながら帰りました。


帰ってからはセンターに向けて今までできなかった部分をひたすらやりました。溜めていた模試のやり直しをやりながら合格発表を待ちました。合格発表の日にパソコンに自分の受験番号があってとても嬉しかったです。


こんな感じでまったく参考にならない受験の時のお話でした。下宿してる人は受験に強いらしいので下宿生の皆さんは頑張って欲しいです。ちなみに同じジャニオタしてた子達はみんな受かって今でも一緒にコンサートに行く仲です。下宿仲間大事!振り返ってみると下宿生活で体験してきたことは自分にとっての糧になってることが多いなと思います。あと、この頃はちゃんと頑張ってた(笑)またこれから次の目標に向かって走っていきたいので、ジャニオタとやるべき事を両立しながらやっていけたらいいなと思います。